- 仲の良かった小学校の友達がサッカー部に入ると言うから入る
- 高校は地元の家から自転車で10分のところに行く
- 数学の方が得意だったから理系が有利だと言われ大学は理系の学部に行く
- オーストラリアに留学してTOEICでは900点台、TOEFLでは105点をとる
- 大企業という名前よりも新卒からすぐに海外にいける企業に就職して新卒3ヶ月で海外出張3ヶ月する
- 新卒で入った企業を3年で離れ、アメリカに転職する
きっかけはそれぞれ違うと思いますが、人は意識を変えるだけで人生を変えれると信じて今も生きています。
まだ読まれていない方は、自己紹介を読んでからこの記事を読むとより分かりやすいと思います。
ゆとり世代として生まれ育った大学生まで
東京の多摩地域のごく一般的な家庭に生まれました。
小学校は家から徒歩8分、ですが寄り道ばかりしていました。
小学校4年生の時に仲の良い友達がサッカークラブに入るというので、一緒に入って結局中学まで続けました。
高校は地元の自転車で10分のところでしたが、友達もいないサッカー部に入る必要は特になくなり、自然と帰宅部になっていました。
バイトが許可されていたので、近くのマクドナルドでハンバーガーを作っては高校に通う、何もない平凡な毎日です。
大学も住んでいた沿線上にある通いやすい大学に通うことにしました。
このまま普通に就職するのかな、そんな風に考えていた大学終わり頃の春、人生を変えるきっかけがわたしにやってきました。
人生を変えたきっかけ
わたしは東北地方に住んでいなかったし、家族や親族でも被害を受けたわけではありません。
実はそのとき、たまたま友達が行くというので着いて行ってベトナム旅行に行っていたのです。
この時は海外によく行くようなキャラでもなく、人生で2回目の海外旅行です。
その頃はポケットWiFiなど知らず、スマホも使えず街を歩いていました。
夜ご飯でレストランに入り、つたない英語で日本人だというと、奥に呼ばれパソコンの画面で津波の動画を見せられたのです。
映画でみたような災害の様子がそこには映っていて呆然とする自分を、「家族は大丈夫か、すぐに確認した方が良い」と言って心配してくれるベトナム人のおばさん。
急いでホテルに戻り、友人と自分の家族の無事を確認しました。
それから残りの数日間はどこに言っても自分たちが日本人だとわかると心配の声をかけてくれるベトナムの人々の優しさに触れました。
最初にベトナムに着いた時に、あまりの衛生面の低さから、正直なところ自分はやっぱり日本に生まれて良かったと思っていました。
帰国の時にはそれが正反対に。
自分も目の前にいる周りの人になんとなく合わせるだけでなく、世界のことをしっかり知り、自分から関わっていこうと思いました。
意識を変えてからの人生:留学〜就職〜海外転職
オーストラリアへの1年間の留学
帰国後は大学に残り、グローバルに生きていくことを目標に、1年間オーストラリアに留学しました。
その時は必死に勉強してもTOEICの点数も600点くらい。
海外旅行と同じつもりで大学の寮に着いた時に、受付の人が何を言っているか全くわからないところから始まりました。
毎日、「何かを食べないといけない」、「授業がどこであるか分からないから聞かないといけない」、「銀行口座開かないとお金が払えない」とかそんなことに必死で、とにかく色々な人に助けてもらいました。
海外で生活していく上で、現地にいる日本人の知り合いはとても助けになります。
しかし、わたしは日本人がいると甘えてしまうと思い、最初の半年間は日本人とは関わらないことにしていました。
がむしゃらに英語の環境で生活した結果、半年後にTOEICを受けるとリスニングでは満点が取れるまでに成長していました。
英語に慣れてくると、求めていた「世界の人ともっと関わりたい」 異なる価値観の先生、友人たちとの議論では、日本では当たり前だったことを否定されることから始まり、本当に自分が正しいと思うことは何なのかを考える、本当にかけがえのない経験になりました。
新卒でもすぐ海外で働けるという基準で仕事探し
オーストラリアから帰国後、仕事を探す時がやってきました。
仕事探しのポイントは1つ、「新卒でも海外ですぐに働かせてもらえる」会社でした。
新卒でもすぐに海外に行かせてくれそうな業界
- 総合商社・専門商社
- メーカー
- コンサル
- 航空・海運系
- 物流系
- JICA
- 建設・ゼネコン・開発コンサル
- NGO
私の場合は途上国で国際協力関係の仕事と思っていたので、下3つに業界を絞って、内定がもらえたところに就職しました。
まずは3年働いて、経験がついてきたら海外で転職したいと最初から考えていました。
そのため、1年目から海外に行ける仕事には手をあげ、合計3年務めたうちの約半分は海外出張に行かせてもらえました。
このように出来たのは、業界を選んだこともそうですが、大企業ではないところを選んだことも大きな要因です。
大企業だと、研修やローテーションで若手のうちは思ったような仕事が振ってもらえない可能性も高いです。
中小企業の場合は、新卒の段階から分野が決まって入ることが多いので、海外担当という形で入ることができれば、海外に行きやすいのでは、と思います。
アメリカへの転職
2年経った頃、海外出張しながらも海外に転職できる仕事を探しはじめました。
やったことは主に3つ+人づての情報収拾。 海外就職は「コネ」も本当に重要なので、自分から仕事を探していることを海外にいる人にPRしていく必要があります。
- 海外向けの転職サイトに登録
- Linkedinの情報を英語でしっかり作り込む
- 履歴書・カバーレターを英語で用意する
わたしの場合はかなり運が良く、合計3つほど受けたところで、ある国際機関から期限付きで雇ってもらえることが決まりました。
(受かったもの以外は書類審査にも通りませんでした。)
これまで国際協力の仕事を現場でやっていたことや、日本人を採用したいと思っていたことが受かった1番の理由だと思います。
でないと、アメリカの大学を出ておらず、アメリカの就業経験がない日本人が雇われるほど簡単ではありません。
日本でアジアからの学生が日本の大学を出ていたら就職できても、現地の大学卒で日本語もあんまりだったら内定を出すのはかなり難しいのと同じですね。
こうして運良くアメリカで就職できたわたしは、2年間という契約のもとでアメリカに移住することができました。
今後のキャリア
2年間の契約満了後、2年契約を伸ばすことができました。
日本の感覚からすると、一生契約社員でやっていくのは、なかなか大変ですよね。
わたしもアメリカでの経験は基調ですが、基軸にあるのは「世界と自分から関わりたい」であって、「アメリカに居たい」ではありません。
これまで海外生活がほとんどだったので、2年後は日本から日本と世界をつなぐ仕事も考えたいと思っています。
まとめ:ゆとり世代で育ったわたしが意識高くグローバルとか言い出した理由
どんなきっかけで人生が変わるかは分かりませんが、「意識高い系」という人生も悪くないと思っています。
ゆとり世代でゆっくり生きるのは悪くない。
けど、意識高い系でグローバルとか言ってみる人生も楽しみがある。
何がきっかけになるかは人次第
留学や海外旅行は良いきっかけになるはず。
・いま大学生なら、留学のチャンスをつかんで欲しい。
・社会人でもMBAや大学院留学の機会はある。
日本の新卒採用は活用すると良い
・海外での就職よりも経験がなくても受け入れてもらえる。
・早いうちから経験がつめる・海外に行けるなどの基準で選んでみるのも良い。
・海外への転職は運もある、まずは行動してみる
・海外向けの転職サイトに登録
・Linkedinのプロフィールを英語で作り込む
・履歴書やカバーレターは英語で用意する
上記に関連して今後記事をさらに充実させていく予定です。 この記事を読んで、海外に興味を持ってくれた方は、ぜひブログを読んでいただけると嬉しいです。